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スタッフブログ

こんにちは!!

名古屋担当の伊藤と申します。
至学館高校のすぐ近くに住んでいて、砂田橋駅が最寄り駅のところに住んでいます。
保育園に通う2歳になる女の子がいます。

子育て世代のおうち探しのお悩みには特によいご提案ができるのではないかと思ってます。

仕事では最近、「地名の由来」、「地質」と「名古屋の歴史」について興味を持ち、いろいろ調べたりしています。
実はそれが、おうち探しにすごく役立ったりするのです。

現在担当しているのは「千種区」がメインです。

みなさまご存じですか?
「千種区」の由来…

実は「千種区」の由来は公式には解らないんだそうですよ。
どなたかご存じの方がいらしたら是非、教えてください!!

でも気になったので調べてみました。
千種区は昭和12年に東区から分離され、その前は千種町、さらにその前は千種村として存在していました。
更にその昔は「鳴海荘古井村」5つの村があったそうです。
「千種」という言葉はいつどこで生まれたのか…
その原点を探ると現段階では、今の千種小学校にそれがあるようです。

昔は義校「隆道学校」として設立し、明治9年に古井村、鍋屋上野村などの5つの村の合併による名称変更があり、そこで初めて千種村が登場します。
その時の千種小学校は「第26番千種小学校」と呼ばれていたそうです。

現在解る最古の情報はここまでで、その前の情報は見つかっていません。

明治時代初期は誰でも名字を名乗る事ができるようになった事は歴史の授業でも出てきたとおりだと思います。
その授業で出てきた「平民苗字必称義務令」は新たに苗字を設けることは例外とされていることから、原則として、「先祖以来」の苗字を称えていたそうです。
廃藩置県などで地名の名称も変わり、先祖代々伝わる地名からの名称変更があった地区も少なくないと思います。

これはあくまで私の推測ですが、地名を新しく名づけたり、例外的に名字を新しく付けたりすることができた時代の中で5つの村が話し合って、あるいは神社の神主さんにお願いして名づけた名前が「千種」だったりするのかな?
と考えております。

地名由来で千種区は偉人や先祖の名前からとった地名がちらほら見かけます。

現在物件のある「千種区下方町」は織田信秀の一武将、上野城主下方左近貞清の姓にちなんで付けられました。当時は、「城前」「土居下」の地名が由来だと言われています。

また、近所の振甫町は江戸時代に「明」から来て帰化した張振甫さんの名前からとっているそうです。
清明山は、平安時代の有名な陰陽師、あの阿倍清明が住んでいた事からとった地名だそうです。確かに清明神社ありますもんね。
武将の名前からとった地名である下方町をはじめ、その近辺はやはり調べてみると水害被害も少ない場所になっています。
ご先祖様は昔からそういう災害リスクが少ない場所が解っていたんですね。頭が下がります。

これからこのように地名の由来なども織り交ぜながらご紹介できればと思います。

さて、今週の土日は私は「スマートスクエア千種下方」におります。
武将から取った伝統ある地名、下方町で歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
以上、伊藤でした。

http://chikusa-shimokata.toshinjyuken.co.jp/

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